適塾2階の大部屋。梁の見える天井の下に畳が広がり、両脇に展示ケースが並ぶ

洪庵のたいまつ

『洪庵のたいまつ』を、司馬遼太郎のエッセイで知った。読みながら涙が出るほど熱くなった。

冒頭の一文が有名だが、自分が熱くなったのは結びの言葉だった。

洪庵は、自分の恩師たちから引き継いだたいまつの火を、よりいっそう大きくした人であった。

 かれの偉大さは、自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである。弟子たちのたいまつの火は、後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。やがてはその火の群が、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。後生のわたしたちは、洪庵に感謝しなければならない。

司馬遼太郎「洪庵のたいまつ」(『二十一世紀に生きる君たちへ』所収)

詳しくは、著作で読んでほしい。『二十一世紀に生きる君たちへ』

今はAIをはじめテクノロジーが進化し、ソロプレナーという言葉も流行っている。会社や組織という仕組みを超えて、一人ひとりが力を合わせて世の中を良くしていく思想なら賛成できる。ただ、責任を負わず、楽してただ稼ぐという思想には賛成できない。

これは働き方や給与のもらい方の話ではなく、心の持ちようの話だ。ベクトルを自分に向けず、常に外に向けて、「誰か」や「世の中」の役に立つ。時間軸も今だけでなく、未来の日本を生きる後世に向けて、各地域、各業界、さまざまな立場で、たいまつの火を広げていく。そういうメッセージだと受け取った。

一人で願うのが「夢」。たとえ自分が生きている間に成し遂げられなくても、周りの人や次の世代に引き継いで、世の中を良くしていきたい。そうやって人と共有する願いが「志」。自分はそう定義している。

先人たちが抱いた本気の志は、時代を超えて、今も心に鳴り響いてくる。

緒方洪庵がつくり、大阪大学のもとになった私塾は、今も残っている。大阪大学適塾記念センター。2階には、多くの若者が寝食を共にして勉強に励んだ広い畳敷きの大部屋がある。一人あたり一畳ほどで暮らしていたようだ。思わず座り込んで、当時に思いを馳せた。部屋の柱には、塾生たちのけんかでついた刀傷が残っている。

こういう、本気で世の中を良くするために学ぶ教育の場を、自分もつくりたい。

インターネットもない時代。学ぶための書物は、言語が違うから読めない。そんな中で、オランダ語の大型辞書が一冊だけ置かれていたのがヅーフ部屋。塾生たちは辞書を奪い合うように使い、夜通し明かりが消えなかったという。

ただ、ヅーフ部屋の明かりが消えず、若い男子たちが集まっていたのは、学びへの貪欲さだけではなく、隣が女中部屋だったことも少しは影響していたのではないか、と勝手に思っている。

兎にも角にも、現代を生きる我々も、もっと貪欲に学ばなければ。自分だけのためではなく、世の中を良くするために。