上空から見た高石の工場夜景と川。その上で花火が開いている

高石超花火、みんなで育てる日本一

2026年10月24日、浜寺公園。高石超花火、初開催。25,000発。

今回は、筆頭副実行委員長として関わった。

ベースになったのは、4年前の夢洲超花火。万博の工事が始まる前の夢洲を貸し切り、ゼロから立ち上げて、ファウンダー兼実行委員長を務めた。その日の様子はこちら。

第1回を、無事に終えた。ここからがスタート。毎年、花火玉も演出も増やしてパワーアップし、6年後には45,000発、日本一の花火を目指している。

ただ、すべてが順調だったわけではない。

10月15日、台風30号が発生。13年ぶりの30号。24日は大雨の予報に変わり、開催できるのか、できないのか。その状況が、当日まで続いた。

ボランティアにも多くの方が参加してくれていたが、雨の予報で、開催前の1週間はキャンセルが出始めていた。自分にできるのは、メッセージを伝えることだけ。

「根拠はないけど、台風が影響する予報は直前まで変わるから大丈夫。」

「どうせ未来には日本を代表するイベントになっているのだから、たかが初回、カッパを着ながら花火を見るのもいい思い出じゃないか。」

そう伝え続けた。自分の横では、ボランティアの統括をしてくれていた若者が、丁寧にフォローもしてくれていた。それで、キャンセルも止まった。

関わる人たちと、参加者の想いがお天道さまに届いたのか、昼から雨が上がる予報が出る。当日の朝はまだ大雨の時間帯もあったが、実行委員会で、開催の方向で進めると決めた。

雨が止んでも、会場の土は水たまりとぬかるみだらけ。開場を1時間遅らせ、ギリギリまで、会場のメンバーが力を合わせて水を抜き続けた。

花火は、オープニングからフィナーレかと思うほどの迫力。これが大阪っぽい。超花火っぽい。音楽は、オリジナル楽曲と既存の楽曲を合わせ、全世代をカバーできるように選んだ。途中で、今年のミームも入れた。すると、会場の子どもたちが一斉に踊り出した。連れてきた親御さんにも、喜んでもらえたと思う。

日中も打ち上げのあいだも、自分はカメラマンと一緒に会場を回って写真を撮った。来年以降の開催も決まっているので、WEBサイトに載せる素材をしっかり確保する。初開催の今回は素材がなく、イメージ図の一部はAIで生成した。しかし、生成されたものばかりの世の中だからこそ、これからは生成していないもので勝負したい。

本当のフィナーレは、家族と。息子も、息子の友達も会場に来ていた。親父の仕事を、少し見せることができた。これが、働く最大のモチベーション。

会場には友達が来てくれて、インフルエンサー枠にも友達が駆けつけてくれた。10年前に自分の会社で働いてくれていた優秀な若者も、手伝いに来てくれた。応援してくれる人が集まって、有難い。

歓声。拍手。終わったあと、帰っていく人たちの会話。「人生でいちばんの花火だった」。そんな声が聞こえてきた。人を感動させる仕事をしてきてよかった。これからもしていきたい。心から、そう思った。

高石超花火は、これから毎年続いていく。実行委員会には新しい人や会社も入り、さらに大きくなり、入れ替わりもあるだろう。10年、20年、その先まで続く。大阪の人が地元を誇れる、日本を代表する花火に。

「こんなことができたらいいな」ではなく、できると思い込む。「こんなことをやりたいな」ではなく、やると決め込む。これが本当に大事。イベントに限らず、どんな仕事でも同じだと思う。

働き方や生き方は、自分で選択できる。これは事実。働き方は3年後を見て、生き方はシュタイナーの言う7年後を見て、準備する。慌てず、焦らず、着実に進む方向を決めて、ブレずに進めば、必ず自分の思う働き方や生き方につながっていく。

人を集めて、感動させる。この仕事を選んでよかったと、改めて感じている。これは、テクノロジーにはできないこと。ただ楽しかった、すごかった、というイベントではなく、参加した人の人生が少しでも良くなるきっかけになる。夢や希望を持てる。そういうイベントを、花火に限らず、もっと壮大な規模でできるようになりたい。

来てくれた人、協賛者、関係各社、実行委員会のみなさん、高石のみなさん。本当に感謝しています。ありがとうございました。

上空から見た高石の工場夜景と川。その上で花火が開いている
雨の朝の会場。白いテントの前を、雨合羽の人たちが行き来している
スタッフが掃除機で水を吸い、奥でも大勢が水抜きにあたっている
上空から見た高石の工場夜景。川沿いで花火が上がっている
フィナーレの連発。夜空が白く染まるほど花火が重なる