金剛峯寺へ続く石畳の参道。左手に「総本山金剛峯寺」の石標が立ち、正面に山門が見える

一人のカリスマがいたら村ができる

和歌山県、高野山。極楽橋駅の通路の天井絵は、俗世の黒から聖域の赤へ色が移っていく。標高八百メートル。涼しい。

大門をくぐると、山上の盆地に町が広がる。

地方の人口減少の解決策として、定住人口だけでなく交流人口や関係人口を増やす、という話をよく聞く。普段、地方の自治体から相談があれば、イベントなどの提案をしている。しかし、「地方創生」は意外とシンプルなのかもしれない。

圧倒的なカリスマが一人いたら、人が集まり村ができる。

道もケーブルカーもない千年以上前から、時の最高権力者たちが山と谷を越えて、禅定を続ける空海に会いに来ていた。そう想像しながら歩く。そして現代も、多くの人が訪れる山の上の町になっている。

壇上伽藍の三鈷の松は、空海が唐から投げた三鈷杵がかかった松と伝わる。一般的な松は葉が二枚。この松には葉が三枚に分かれるものが混ざっていて、地元の人はお守りがわりに持って帰る縁起物になっている。

金剛峯寺で女性僧侶の法話を聞き、その後、紹介いただいた高野山高校の教頭先生の法話を奥の院の茶処で聞いた。話は現代のAIのことにもなった。「物の興廃は必ず人による。人の昇沈は定めて道にあり」。空海が綜芸種智院という学校を開くときに書いた一節で、物事が栄えるか廃れるかは人で決まり、人が伸びるか沈むかは道にかなっているかで決まる、という意味。千二百年前の言葉が、現代人に向かって言っているように感じる。

意思決定や方向を決める重要な場面でAIと「壁打ち」する、という不毛なことは、もうずいぶん前にやめた。考えて決めるのは人。

うーんと悩んでいたら一緒にうーんと悩んでくれる、そんな人との触れ合いを大事にしなさい、という話でもあった。

奥の院は参道二キロメートルに二十万基の墓が並ぶ。織田信長と明智光秀、武田信玄と上杉謙信。戦国で殺し合った武将たちが、敵味方なく同じ山に眠っている。企業墓も多く、コーヒーカップの形をした墓や、駆除したシロアリを供養する塔まである。御廟では空海が今も禅定を続けているとされ、朝と昼の食事が毎日運ばれる。手前の燈籠堂には、千年近く消えていないとされる灯明が二つ灯っている。

帰り道、大阪瓦斯の企業墓を探した。二十歳の頃、大阪ガスの社員研修で高野山に来た。この企業墓に参拝する日があったが、腹痛を理由にさぼった。ようやく先輩方に挨拶ができた。

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